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インタビュー

2004年3月28日、北日本選手権での演技を終えられた鈴木明子さんにインタビューをお願いしました。

――― まずは、一年間の話から聞いていいですか? 体調不良ってどんな感じだったんですか?

「ちょうど去年のクロアチアの試合に行って、帰ってきたくらいからですね。もう、食べ物が食べられなくなってしまって、体重がどんどん落ちていっちゃって。最初は、風邪かな?でもまぁ滑れるかな?って感じだったんですが、そこからもう、食べても戻しちゃう状態になって、急激に体重が減っていってしまって。それが続いて、5月ぐらいになって、それまでは先生の家に下宿だったんですけど、ちょっと環境を変えた方がいいかもしれないって言われて一人暮らしをするようになったんです。それから戻すことはなくなったんですけど、食べられる量が極端に少なくて、大学も通える状態ではなくなってしまって、その辺りからスケートも滑れる状態ではなくなってしまって。とにかく体重が落ちていく一方で、体調も悪くて、血圧が低くて血圧を上げる薬を飲んだり。体力がなさ過ぎて、夜は眠れなくて、睡眠薬を飲んで寝てたりとか。もう耐えられなくて、一人で暮らすこと自体が、生活自体ができなくなって、それで大学も休んで、実家に戻ったんです。

実家の方で精神科に行って、診断は、拒食症ではなかったんですけど、一種の摂食障害ということでした。そこでは精神安定の薬と食欲を出せるような薬を出してもらったんですけど、結局、精神科の方の治療っていうのは体の方だけで、精神面ではとにかく親が支えてくれたんです。その時期は一日を過ごすことが困難で、朝起きて午前中は何とか生活できても、午後からは横にならないと駄目な状態で。体力がなくて普通の生活ができなくて、とてもスケートどころではなくて。皮下脂肪も何もない状態だから寒くて寒くて、夏なのに長袖とか着込んで。スケートもやめることも考えたし、人と接することすらできなくなってて、知ってる人に会って、何か聞かれることが怖くて、どうしたの?とか体の状態のことを言われるのがすごく嫌で、もう、一時は海外逃亡しようと思ったんですよ(笑) もう知ってる人のいるところにいたくない、だったら誰も知らないところで、明子を受け入れてくれるところに行きたい、って。でも、海外に行くにもその体じゃ無理でしょ?って感じで。

体壊すぐらいだったらスケートやめてもいいから、とにかく元気になって欲しい、っていうのが親の願いだったんですけど、どうしてももう一度スケートがしたい、その気持ちだけで無理矢理仙台に帰ったんです。無謀だったんですけど、カナダの試合(スケート・カナダ)に派遣されてたから、なんとしてでも出たいっていう目標があって、連盟の城田強化部長とも話をして、「ぎりぎりまで返事は待つから」って言って下さったので。筋肉も何もない状態になっちゃってて、今より10キロはやせてたからもうふらふらで、無謀なのは承知だったんですけど、とにかくカナダに出たい、って。結局、カナダには行けないって判断を先生がして、じゃ、次は全日本までに、って目標を切り替えたんですけど、やっぱり今だけのことじゃないから、って、全日本にも出ないって判断を先生がしたんです。ショックはショックだったんですけど、でもそこで吹っ切れたっていうか、じゃ、今年はもう休養だ、って(笑) あせっても仕方ないって思って。でも、吹っ切れたからか、そこから急激に体調が良くなったんです。スケートがしたいから、だからもっと食べなきゃ(笑)ってのもあったし。

今はまだ、精神的な克服期っていうか回復期なんです。摂食障害ってそう簡単に治るものではなくて、拒食症ではないとは言われてもやっぱり症状的には一緒で、仙台に来て、ご飯が食べられるようにはなっても、治る時に今度は髪の毛が抜けてきてしまって、シャンプーのたびにごそっと手に乗るぐらいに抜けてきてしまって、それは回復する時の症状らしいんですけど、でもそれが凄いショックで、どんどんどんどん抜けてきてしまって、毎日、お掃除が大変なぐらい落ちちゃうんですよ(笑) 今だから笑って話せるんですけど、もうその時は必死で、でもそれは治っていく証拠だからって言われて。でやっと今生えてきてる状態で。」

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――― アイスダンスですか。まぁ、明子さんならそれなりに活躍はしたと思うけど、でもやっぱりシングルで見たい気がします。

「でも本当に、普通だったらあのまま辞めちゃったかもしれないんです。多分あの状態を見て、あそこまでになっちゃって、それでも大丈夫って言ってくれる先生は長久保先生しかいなかった。そこまでどん底でも、先生は諦めずに、大丈夫だから一緒にやろう、って言ってくれて。多分、世界中でも今の自分を受け入れてくれるのは先生しかいないと思ったから。だから、一生懸命ついていこうって決めたんです。

やっぱり回復期は、歪んだ体型の意識があって、明らかに細いのに、そんなことないよ?みたいな感じだったんで、体重が増えていくことが凄く怖くて、このまま増えていっちゃったらどうしよう?とかそういう意識になってしまって。最初は体重が増えることが怖くて、精神的に不安定な状態が続いて、でもやっぱり、体重がどんどん増えていって、戻ってくるたびにスケートも少しずつ良くなってきてるんだから、それはしょうがないっていうか(笑) そういう意味で、体型の自分の中での歪んだ感覚があるみたいで、怖いんですよね。体重が増えるのが。」

――― え?今でもですか?

「今でも少し怖い時はあるんですけど、でもみんなに、大丈夫、大丈夫って言われて。痩せてた時を知ってる人は、「あ、太ってきたね」って言ってくれるんですけど、それはいい意味なんですけど(笑)、なんかやっぱり、どこか自分の中、頭の中に太るのが怖いって意識があって、そこから抜け出せないってのがあったんです。でも今はようやく少し落ち着いたかな?っていう感じで。」

――― うん、こうして見てるともう全然普通で(笑)

「そうなんですよ。もう普通の感じなんですけど、一回そういった食事のこと、体のことで歪んでしまった感覚が体に染み付いてしまっていると、怖いんですよね、凄く。このことがあってから色々勉強して、心理学の精神科の本とかも読んでみて、やっぱり摂食障害だったんだな、って自分で今、改めて思うんです。その時は、そうじゃないって言い張ってたんですけど。でもそうだったんだな、って。本とかを読んでると、回復するまでにざらに5年かかったりとか、入院したりとか。明子も入院を勧められたんですよ、豊橋に帰った時に。だけど、いくら細くなっちゃってもスケートがしたかったから、動くことをやめなかったんですよ。だからもう、無理でしょ?ってぐらいなのに、トレーニングに行く、とか言ってたり。とにかくスケートがしたかったんです。入院したら、病院に閉じ込められて何もせずに病室にいて、食事もきちんと出されたものを食べて、それじゃ逆に精神的におかしくなっちゃうんじゃないか?って思って、だったら自分で食べるからスケートもする、病院にだけは入りたくないって。最初は親も、病院に入ったら早く良くなるんじゃないかと思ったらしいんですけど、入院しても2、3年かかるって言われて、それだったら自力で治してやるぞ、って。やっぱり親も凄い心配して、本当に生死をさまよったって感じでした(笑) でも本当に、自分が死ぬんじゃないかって初めて人生の中で思って、このまま死んじゃうんじゃないかなっていうぐらいまで行っちゃってて、精神的にも、肉体的にもそうだったから、あぁ終わっちゃうのかな?って、本当に笑い事じゃなく思ってしまって、だから、今滑れてて本当に幸せだなと思うんです。復活試合、インカレに出た時も、もう緊張とかじゃなくて、フリー滑る前から、あぁもう一回試合の場に立ててるんだ、って。」

――― 宇都宮の時ですね。

「もう本当に、今から滑れるんだ、って思って、それだけで嬉しくて、もうやる前から泣きそうで(笑)、今から滑るのに、もうとにかく嬉しくて、自分の名前がコールされて、リンクに出て行くときに、もう嬉しくて嬉しくて、また試合に出れるんだ、もうそれが嬉しくて。もう順位とか関係ない、滑れるだけでいいじゃん、とか思って。それからの試合、北海道のフリー大会も、今回の試合もなんですけど、順位とかじゃなくて、一年こんな思いをして、もう一回リンクに立てるんだ、みんなが迎えてくれてるんだ、って思ったら、もうただそれだけでいつも嬉しい、って感じで。もう来シーズンからはそんなこと言ってられないけど(笑) でもやっぱり、とにかくそれが嬉しい、緊張があんまりないっていうか、人並みにはするんですけど、今は滑り出す前は、ああ幸せだな、って、生きてて良かったな、って。 」

――― うん、昨日今日と見てて、あんまり緊張してないな、って(笑) 昔はもっと緊張してたと思うんですけど。

「そうなんですよ(笑) インカレの前ぐらいまでは、自分の中に変なプライドっていうか、今までは一応全日本とかも出てたのに、ジャンプも全然、滑りも全然だったから、なんか恥ずかしいっていうのがあったんですけど、でも親とかに、あなた滑れなかったんだよ、滑れるだけいいじゃない、って言われて。そう言われてから、なんか吹っ切れたっていうか、ありのままを見てもらうしかないな、って思って。」

――― でも、滑りに関しては、むしろ以前より上手くなったように感じたんですけど。

「インカレの後のフリー大会は、ジャンプは良くなかったんですけど、インカレよりも筋力がついて、滑りが格段に良くなったんです。最初は本当に、止まるんじゃないかっていうぐらいの状態で、まずプログラムを滑り切れるのか、倒れるんじゃないかって先生も心配したぐらいだったのが、今は、押せー、っていう感じになって。やっぱり試合に出て行く毎に滑りも良くなっていると思います。 」

――― ジャンプも、大分戻ってきてますね。

「そうですね、最初はダブルアクセルも回れない感じだったんですけど、ようやくですね。少しずつですけど。 」

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――― そう、昨日、復帰後初めて見たから、どれぐらい戻ってるんだろう?って、正直心配してたんだけど、練習でトリプルルッツを結構跳べてるのを見て、ああ良かった、って(笑)

「でもインカレの時もターンが目立ち過ぎちゃって、回らない、滑らないって感じで、ステップが押せないんですよね。押してるつもりなんだけど、足がついていってないって感じで。もう食べて動いて、それしかないので、とにかく体を作ります。今日はフリー大会よりは良かったし、ジャンプも6分間の練習では良かったし、先生も手を叩いて喜んでたんで(笑)、先生も、思いのほか回ってたんで驚いたみたいで(笑)、おおっ、って(笑)」

――― はい、反対側で写真を撮ってたんですけど、先生が喜んでるの、見えました(笑)

「見てておかしくて(笑)」

――― 僕の撮ってた場所、横にビデオカメラのマイクがあったから、本当は騒いじゃいけなかったんだけど、おおーっ、とか言っちゃって(笑)

「後はもう、来シーズンに向けてやっていくしかないんで。」

――― ショートは新しいプログラムなんですよね。

「あ、フリーも、この大会が終わったら変えます。」

――― 今シーズンはもう試合はないんですね?

「はい、もうないんで。多分先生の中では構想が練れてるんじゃないかと。」

――― 北九州とか、野辺山とかは?

「はい、北九州も出る予定ではいます。それまでにプログラムを作って、もうちょっと体も作って(笑)」

――― どんなプログラムがいいとか、希望は言ったりするんですか?

「そうです。こんな感じがいいとか。(SPの)ボレロは、話して決めたっていう感じで。結構前々からやってほしいって言われてたんです。明子も好きなんですけど、でもやっぱり、ボレロはトーヴィル&ディーンのダンスのことがあるんで、これをやるのは勇気が要るとずっと思ってたんです。でも、ここまでになっちゃうと、なんか吹っ切れて、やってやろうって思っちゃって(笑) だからフリー大会が終わってすぐに作りだして、昨日のはまだ全然滑れてないなぁと思ったんですけど、これからもうちょっと詰めていきます。」

――― じゃ、ボレロは来年もあちこちで見れると(笑) こっちだと、なかなかブロック大会も来れないので、できれば大きな大会に出てもらえると嬉しいです(笑)

「はい、頑張ります。先生もエンジン全開みたいなんで(笑) 燃えに燃えてきたみたいなんで。後は先生と頑張って。」

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――― 愛知県の方でも皆さん色々動いたりしてるでしょ。何か聞いてます? 愛知県の話は。

「噂だけなんですけど、ああ、みんな大変なんだな、って。この一年、こんなに客観的にスケートを見たことって今までになかったから。今まで突っ走ってきちゃって、周りを見てなくって。でも、改めてスケートが好きなんだ、って。スケートの良さも分かったし。当たり前にできてたことができなくなったわけだから。感謝する気持ちとかも忘れてたな、って気付かされて、ほんと、生きてることに感謝しなきゃ、って。だから、周りの人への感謝の気持ちも改めて感じたし、それから母親って凄いなっていうのも凄く思ったし。なんとしてでも生きさせてあげたい、ってのが本当に伝わってきたし。だから、ある意味では凄い遠回りしちゃったけど、でも、大切なことをもう一回再確認できた、って感じで。もう二度とない。多分明子がおばあちゃんになったときに、自分の中の人生最大ニュースの、絶対三つには入ってる、と思います(笑) 今はそうやって笑って話せるけど。そんな感じです、この一年は。本当に雲隠れしてたんです。でもようやく話せるようになったのも、ファンサイトのBBSに書けるようになったのも本当に最近で、これまでは話せなかった。本当に最初は身内しか知らなかったんです。詳しく話せなくて。ようやくこうして。」

――― ようやく。でも、一度そういうのを経験しちゃえば強いでしょ。

「そう言われますね(笑) あの頃を思ったら、何でもできるよね、って(笑) そうかもしれない、って(笑)」

――― 今日の演技を見てても、ジャンプも大分跳べるようになったのもあるし、それ以外のところで、本当に自信を持って表現してるっていう感じが見えて、凄く見てて嬉しかったし、リンクサイドじゃなかったらもっと騒いでました(笑)

「(笑) ありがとうございます。辛かったけど、もう19歳になったことだし(笑)」

――― そうですよね。改めておめでとうございます。新しい年ということで(笑)

「そうですね、去年は去年で。また新たな一年を。」

――― 仙台に来て、どうです?仙台の街とか、仙台の友達とか。

「最近になってやっと仙台を感じられるようになったというか、大学生活どうですか?って言われても大学どころじゃないですよ、って感じだったので(笑) 仙台に来た最初から調子悪かったんで、入学したときから、もう授業どころじゃないよ、みたいな感じで。無理矢理前期のテストのために仙台に帰ってきたんですよ。テストを受けに帰ってきたって感じで、範囲も何も分からなかったので、もう、受けたくないって言ったんですよ。大学を辞めることも考えてたんで。もう何も分からないから行きたくないって言ったんですけど、名前だけでもいいから書いてくれってスケート部の先生に言われて(笑) もう白紙で出しますけどいいですか?って(笑) でも、前期も後期も、まぁそれなりには(笑) 大丈夫だったんで。先生には凄い支えられてるなっていうのがありますね。これから仙台をもっと楽しまなきゃ!って(笑) もう、この一年は必死だったんで、これから、大学もスケートもうまくやっていけたらいいな、っていう感じです。」

――― BBSの書き込みを見たら、結構食べ歩きはしてるのかな?って(笑)

「(笑)みんな心配してくれるから、「ここおいしいんだよ」って教えてくれて、食べなさいって(笑) もう体重も戻ってきたから、もうこれからはそんなには、って感じなんですけど。「今しか食べれないかもしれないんだよ」とか(笑)、みんな心配してくれて連れて行ってくれたりしてるんで。」

――― で、気がついたら仙台のグルメに詳しくなってたりして(笑)

「そうかもしれない(笑) あそこのお昼がおいしいよ、とか(笑) 」

――― しかし、ここは車がないと不便ですね。免許を取ろうなんてことは?

「あ、もう自動車学校卒業したんで。あとは免許センターに行くだけなんです。体調悪かったときに、夏休み中、スケートもできる状態じゃないから、でも家でボーっとしてるわけにもいかなくて、だったら気分転換に行きなよって、こういうときじゃないと行けないよ、っていわれて、人との出会いもあるかもしれないし、って、で無事に卒業して。 」

――― じゃ、豊橋で取ったんですか?

「いえ、こちらで。近所にあったんで。でも乗る予定はないんで。ペーパードライバーですけど(笑) 」

――― 免許は取るの大変だから、取れるときに取っとくといいですよ。

「そうですよね。絶対スケートしてる間は無理だと思ってたから、いい機会だな、と思って(笑) 」

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――― あ、でも確か荒川さんって免許持ってましたよね?

「はい、しーちゃんも一年ぐらい前ですね。仙台に来たときに、ばーっと行って取っちゃって、で、向こう(アメリカ)で乗ってるみたいなんですけど(笑)」

――― 凄いな(笑) でも、友達の車ででも、最初のうち乗っといた方がいいですよ。本当のペーパードライバーになっちゃうと、怖くて乗れなくなるから。

「実家に帰ったときぐらい、家の車を運転できるかな、と。」

――― 頑張って下さい。でも、事故だけはくれぐれも。

「先生もそれが怖いみたいで、もう、何するにも怖いって言って(笑) 自転車乗るのも怖いって言うぐらいだから(笑) 気をつけろ、って。」

――― 話聞いてると、本当に心配性のお父さんって感じで(笑)

「本当、そうです。でも結構、いろんなことも話せるんですよ。 あとはやっぱり、筋力ですね。やっぱり人並みには体重もないと。一時期は体脂肪も5%を切っちゃってて。」

――― それはもう、マラソン選手よりも凄い(笑)

「ほんと、ボディビルダーのような。でもボディビルダーみたいな筋肉もないし、もうがりがりで、とにかく寒いんですよね、脂肪がないと。リンクにいられないですもん。寒くて。最初は疲れても寝れなかったんですけど、それは体力がないから寝れないんだ、ってことを病院の先生に言われたんです。お年寄りが朝早く起きちゃうのは体力ないからなんだよ、って。それで睡眠薬飲んで寝るしかなかったんですけど、今はもう、寝坊するぐらい寝れるからいいかなって(笑)」

――― それだけ体力があるってことで(笑)

「ほんと、ボディビルダーのような。でもボディビルダーみたいな筋肉もないし、もうがりがりで、とにかく寒いんですよね、脂肪がないと。リンクにいられないですもん。寒くて。最初は疲れても寝れなかったんですけど、それは体力がないから寝れないんだ、ってことを病院の先生に言われたんです。お年寄りが朝早く起きちゃうのは体力ないからなんだよ、って。それで睡眠薬飲んで寝るしかなかったんですけど、今はもう、寝坊するぐらい寝れるからいいかなって(笑)」

―――それだけ体力があるってことで(笑)

「そう、それだけ体力があるんだ!って(笑)」

―――それは朝起きれない人にとってはいい話かもしれない(笑)

「良く食べて、良く寝ないと、って。やっぱり健康じゃないと何も始まらないな、って。」

―――本当にそうですね。僕はイリーナ・スルツカヤも応援してるんですけど、彼女も今年大変で、無理矢理ワールドに出たんですけど、あれはきつかったと思いますよ。写真見てびっくりしたんですけど、足が細くなっちゃって、で、顔はむくんでる状態で。

「明子もなんか、顔だけむくんじゃうんですよ。顔だけ見ると、みんな「あ、戻ったね」って言うんですけど、コスチュームになると、あぁまだ細いのか、って。やっぱり体壊すと色んな部分がバランス取れなくなっちゃうから。後はやっぱり、もっと精神的に強くならないと。その部分は自分で克服するしかないから。 」

―――でも、十分強いと思いますよ。スケートを支えにここまで復活できたんだから。

「やっぱり、感謝ですね、いろんな人に。どれだけ助けられてきたか、って。その人達のためにも、これからまた頑張らなきゃ。」

―――そうですね、あ、また涙が(笑) でも本当に、今日は嬉しかったです。来て良かった(笑)

「ありがとうございます。もっとパワーアップして、来シーズンは復活!って出て行きたいな、と。」

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―――あ、そうなんですか? リンクの上ではそんなの見たことないですね。

「そうですね、リンクの上で泣いたのは、世界ジュニア、初めて出たとき、演技が終わって、疲れたのとほっとしたのとで。やっぱりフリー、ショート、フリーって凄いしんどくて。もう終わったときに、最後のポーズを取ったときに泣いてたんですけど(笑) もう日本に帰る!って感じで。」

―――やっぱりきついんだろうなぁ。安藤さんも昨日泣いてましたね。

「やっぱり精神的に張り詰めてる状態が長いから。もう終わったらほっとしちゃって。」

―――リンクの上で泣くっていうと、愛知県の曽根さんがしょっちゅう(笑)

「しょっちゅう泣いてますね、美樹は(笑)」

―――あ、でもね、今シーズン泣かなくなりましたよ(笑)

「あ、ほんとですか?(笑) みんなに会いたいな、今度名古屋に帰ったら。」

―――そうですね、みんなに元気になった姿を。

「邦和には行ってたんですけど、大須には行ってなかったんですよ。でも、本当に辞めなくて良かったな、って今日も滑る前に思って(笑)」

―――本当に(笑)

「あのまま消えて行っちゃったり(笑)」

―――でも実際、そうなってもおかしくない状態だったんですからね。

「そうですね。やっぱり親としてはスケートよりも人生の方が長いから、とりあえず生きててよ、みたいな。スケートしてることによって体が良くならないんだったら、もうとにかく生きて欲しいから、っていうのもあったけど、でも自分の中では、スケートをしてないと生きてるって感じがしない、って思ってたから。」

―――それだけ好きなものが、子供のうちに見つかって本当に良かったねぇ。

「もう本当に。本当にスケートに助けられてるかな、って。こちらのみんなも、精神的に元気付けようと、あそこに行こう、とか、食べに行こう、とかしてくれたし。」

―――本当に、人に恵まれたって感じですね。

「本当にみんなに助けてもらって、だから、後はスケートで返すしかない。」

―――なんか本当、そういう話を聞けてこちらも嬉しいです。力をもらった感じがして。じゃ、インタビューの最後に、普通だったら目標とか聞くんですけど、明子さんの場合はとにかく、一歩一歩ですね。

「ええ、一歩一歩進むしかない。来シーズンは何事もなかったように、あれ?一年どうしてたの?って感じになるように(笑) 今は目標とかは、、、」

―――とりあえず、全日本の舞台で見たいです。

「そうですね。それを目標にして、で、また海外に出て行けるように。難しいことはもう承知なんで。でも、この一年がなかったら学べなかったことも表現したいな、って思うから。」

―――そうですね、前とはまた違ったスケートができますもんね。

「どうせなったんだから、パワーアップしないと(笑) しーちゃんからパワーをもらったので、とにかく頑張ります。」

―――いつ頃まで続けるとかは、今考えてます?

「まずは大学の4年まではとにかくやってみて、後はその時の状態によって。」

―――日本って、大学卒業でやめちゃう人が多いから、もったいないですよね。

「その時になってみないと分からないけど、やめられないかも(笑) どこまでできるか分からないけど、せっかくどん底を経験したから、這い上がらないと(笑)」

―――もったいないですもんね。じゃ、気の済むまで(笑) 頑張って下さい。

「はい、頑張ります。もうとにかくやるだけですね。」

―――今日は長い時間ありがとうございました。

「はい、こちらこそありがとうございました。

<2004年3月28日、ウェルサンピアみやぎ泉(厚生年金リンク)内のレストランにて>
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インタビューを終えて

とにかく、戻ってきてくれてありがとう。感謝の気持ちで一杯の一時間でした。 競技を終えてお疲れのところ、長時間に渡って、何度も涙ぐみながら、一生懸命話してくれました。聞いているこちらも胸が一杯になってしまって、実は聞きたかった質問は半分ぐらいしか聞けてなかったり(苦笑)
インタビュアー失格だなぁと思いつつも、これだけのお話しをしてもらえたこと、ファン冥利に尽きることと、心から幸せに感じました。
アスリートって誰しも、常にぎりぎりのところで戦っていて、今、元気に試合に出ているからといって、それが当たり前なわけじゃない。だから、応援できるときに応援しておかなきゃ。言うまでもないはずのことなんですが、今回のことで、それを改めて痛感しました。明子さんが、自分が今元気になって、こうして滑れていることを感謝しているように、私もこうして再び明子さんを応援できること、心から感謝しています。ともすれば忘れがちなことを、明子さんに思い出させてもらえました。
文中にもあります通り、この日は明子さんの19回目の誕生日だったんです。そんな日に長時間のインタビューをお願いして、ひょっとしたらご迷惑だったかもしれません。まぁ、新しい年の始まりの日に、こうして一通り話して区切りにしてもらえたならばと、これはいささか勝手な願望ですけど。
このインタビューをご覧いただいた皆様が、これをきっかけに少しでも鈴木明子というスケーターに興味を持って、そして応援していただけたなら、私としてはこれ以上の喜びはありません。
最後に、明子さん、そして、快くご協力いただきました長久保先生に、改めてお礼を申し上げたいと思います。

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