
2005年8月25日、飯塚杯の最終日、フリーの公式練習を終えた明子さんにインタビューをお願いしました。
――― 今日の練習を見ていて思ったんですけど、去年は、「ああ、体が良くなってようやくここまで出来るようになった」って感じでしたけど、もう今年はそんなことは全然感じさせなくなりましたね。
「そうですね。今は先生の厳しい指導も、飯塚杯の直前にあった合宿も耐えられたぐらいになって、とにかく体調を気にせず頑張り切れるようになったので、それを親も喜んでくれてます。」
――― ようやく、アスリートとして本来あるべき姿に(笑)
「(笑) そうですね。だからそこまでに回復できて、まずは良かった、って感じです。」
――― 去年はファンとしても、ここをこうすれば、なんて厳しいことはとても言える状況ではなかったけど、今年からはきっと厳しい意見も出てくるかもしれませんね(笑)
「はい、でもそれは先生も言っていて、「やっと何でも言えるようになった」って(笑) 今までは何を言うにも怖かったようで、先生もかける言葉を選んで指導していたようだったので。先生も悩んだんだろうと思います。」
――― と思いますよ。長久保先生だって、色んな生徒さんを見てらっしゃるけど、こんなケースは今までになかったでしょうから(笑) プログラムの話ですけど、今年、というか今日滑るフリーのプログラムはどんなものですか?
「月光です。曲を渡されたとき、「え?」って(笑) ボレロに月光って、凄いチャレンジャーな選択だな、と(笑) でも奈々美先生は、選手のことを良く考えて、どういうイメージでやらせたいかを考えて下さる先生なので、私に出来ると思ったからこの曲を渡してくれたんだな、と思って頑張ってます。この曲はストーリーがあるわけではないので、自分なりに表現を考えていたんですが、そんなときにたまたま観た映画で月光が使われていて、ピアノを弾くシーンがあったんですけど、そこからイメージを得て、「光と影」を表現したいと考えました。それは本当に情景としての光と影もあるし、自分の心の中にある、今まで出来なかった苦しさ、やっと抜け出せたこと、自分のスケートに対する気持ち、大きく言えば、生きていることの「光」を見つけた、っていうことを表現したいと思って、そんな感じでやろうと思ってます(笑)」
――― それ、表現できたら凄いと思う! でも、そうやって表現しようとすれば、きっと感じる人は感じると思いますよ。
「最初は凄く難しくて、ピアノソナタをどう表現すればいいのか分からなかったんです。今までは物語的なものが多かったので、ロミオとジュリエットとか、既に決まっているものがあって、それを自分だったらこんな感じなのかな?と表現すれば良かったんですが、ピアノソナタをどう表現すればいいのか、そのイメージを自分で作っていかなければならなかったので大変でした。」
――― それは観るのが楽しみです!
「でもまだ全然未完成で(笑)」
――― 一通りのエレメンツはもう入ってるんですか?
「はい、入ってます。」
――― じゃぁ、未完成っていうのは表現面?
「(笑) はい、そうです。一応、エレメンツはこれからやっていこうと思うものを入れてます。」
――― ショートも、ルッツ、フリップを入れてたし、フリーも本来のジャンプ構成で。
「はい、本来の構成です。今年のショートをどうするか、って話をしたときに、先生が、「ボレロをルッツ、フリップで観てみたい」って(笑) それで去年のプログラムの続行が決まったんです。でもボレロはまだまだ進化できるものだと思っていましたから。」

――― この試合の後ですけど、練習はどこでするんですか?
「これからは、とりあえず名古屋に戻って練習します。おかげさまで色んなところの練習に参加させてもらえるので助かってます。色んなところに行くのは確かに大変なんですけど、そこで小さい子と一緒に練習するのはいい経験になるので。例えば子供たちにステップを教えたりすると、逆に気づかされることも多いです。」
――― 引退後はインストラクターになるんですか?
「いえ、引退後は振付師になりたいと思っています。今は振付師って外国の人が多いじゃないですか。逆に海外の選手から呼ばれるぐらいの振付師になりたいです。でもそのためには色々と勉強すべきことがあるので、現役を引退してからは海外のショーに行きたいなと考えていて、今、色々と検討中です。良く、ショーに行きたいって話をすると、「ディスニーに行くの?」って言われるんですが、私はキャラクターを演じるのではなく、自分を演じるのが好きなので、そういう演技をできるショーを考えてます。昔はショーっていうと、漠然とプリンスかディズニーしかないのかな、と思ってたんですが、今こうして考えてみると道は沢山あるし。エキジビションみたいなボーカル曲も含めて、滑りたい曲ってまだ一杯あるんですよ。でも、選手のうちにはそれはやりたくても消化できないじゃないですか。だからショーの世界でも滑りたいと。」
――― ムサシノ杯みたいなイベントに、自分で振付けて持っていったら面白いんじゃないですか?
「昔、小塚杯はずっと出てたんですよ。好きでした、小塚杯。練習が楽しくて(笑) その頃は美樹(曽根美樹選手)とチームメイトで、二人で盛り上がってました。遠征先でも「(荻野)正子先生のところはキャラクター、濃いですよね。」なんて言われて(笑) でも、正子先生がそういう教え方をしてるわけじゃないんですよ。自分たちのやりたいように表現していただけで。たまたまそういう個性の強い選手が集まってたんです。」
――― それは先生にとっては面白かったでしょうね。
「振付をもらったら、後は好きなようにやってるタイプだったので、例えば顔をこちらに向けなさい、とか言われなくても自分の思うように表現をしていて、振付に入っていないことまで勝手にやってしまって、振付の先生に「そこ、やめてくれない?」なんて言われたり(笑)」
――― それは、普通とは逆の意味で振付師泣かせ、先生泣かせですよね。普通は振付けられた内容を忠実にこなすだけでも大変でしょうに(笑) 今年の予定なんですが、大体決まってますか?
「とりあえず、ブロック、東日本、全日本、インカレ、国体、そして北海道フリー大会、北日本も予定してます。」
――― 国際大会はどれに出たいとかありますか?
「それはもちろん、出させていただけるのならどれでも行きます!って感じです(笑) 海外の大会は吸収するものが多いので。ユニバも次回、4年生のときに出られたらぜひ出たいですね。四大陸ももう一度出たいです。前に出たときはもう何も分からない状態でしたし。
今年のユニバは本当に楽しかったんです。日本の大会よりは海外の方が緊張しませんし。色んな競技の人と知り合えて、また世界が広がった感じがしました。開会式もオリンピックみたいに行進するんですよ。色んな人に聞いても「ユニバは絶対に出ておきなさいよ」って言われますし、雰囲気も好きなので、2年後にチャンスがあればもう一度出たいです。ファンも、「あなたの演技が良かった」ってストレートに伝えてくれて、別に1位になったわけでもないのに(笑)そう言ってもらえて嬉しかったです。」
――― ユニバって、案外海外の選手も有力選手が出ますよね。
「そうなんですよ。ヘーゲルとか、マニアチェンコとか、ダンファンも来てましたし。でも一番びっくりしたのが、スタニック・ジャネットが出てたんですよ!みんなびっくりして、「学生、、、なのかな?」って(笑) でも国によって学生の基準が違うので、本当に幅広く色んな選手が出てました。ジュニアからずっと知ってる中国のペアの選手にも会ったんですけど、「あなた、どうしてたの?ずっと出てこなくて!」って(笑) 「まぁ、色々」みたいに答えたんですけど、詳しくは話せないじゃないですか(笑)」

――― 子供の頃の話を聞きたいんですけど、豊橋に住んで、名古屋に練習に通っていたんですよね。
「はい、でも豊橋は家があるだけで、ほとんど名古屋で生活していたので豊橋のことは良く分からないんです。豊橋では寝るだけで(笑) 」
――― 寝に帰るにしては遠いですね(苦笑)
「遠いですね。でも電車の中がくつろげる場所だったので、そこで勉強したり、本を読んだり、睡眠を取ったりしてました。ただ夜の貸切の後に帰るとき、10時台なので酔っ払いも多いんですよ。小さい子が乗ってるのは珍しいので良く声をかけられたり。 」
――― それは珍しいだろうけど、あんまり声かけてほしくないですね。
「夜11時に豊橋の駅に着いて、制服で歩いてると警察にじろじろ見られたりしました(笑) スケート靴もあるから大きい鞄をもってるじゃないですか。」
――― 家出かと思われたり?(笑)
「そう!「違うんです!」とか心の中で思ってました(笑)」
――― でもそういう時期を乗り越えてきてるから、例えば仙台でリンクが潰れて、あちこちに練習に行かなきゃならなくても平気なのかもしれませんね。
「そうですね、楽しめちゃってるんですよ。確かに大変なんですけど、でも色んな人と出会えたりとか、色んなリンクで色んな先生方の指導を見て、ああ、この先生はこんな風に教えるんだ、とか。考え方も皆さん違いますし、子供たちも色んなタイプの子がいますし。今はほとんどの生徒が年下なので、そういう子達を見ていて、昔の自分のことを振り返ってみたりもします。(ああ、あのときはああすれば良かったんだな)とか、(ああ、あのときは先生に悪いことをしたな)とか(笑) 今ぐらいの年になってようやくそういう精神的な余裕が出てきましたね。
親に対する考え方でも、高校生の頃は、いつかは母親なんて抜かしてやる、なんて思ってたんですけど(笑)、今思うのは、母親って偉大なんだな、親って凄い存在なんだな、って。私が元気になったときにも一番喜んでくれたのが母でしたし、今、練習してて調子悪いときでも、「練習できてるんじゃない、良かったね。」って(笑) 常にプラス思考で、でもそれは、母って強いな、っていうんじゃなくて、強くあらねばいけない、っていう母の気持ちが、母を強くしてるんだな、って。私がいくら弱い気持ちになろうと、母は頑として「大丈夫」って。そこまで行くのは私にはまだ到底無理だ、って思います(笑) 私も少しずつポジティブにはなってきてるんですけど、へこむときは凄いへこむし、でもそんなときに母の一言で元気になれたりするんです。 」
――― その存在、その一言は大きいですね。
「はい、本当に。今まで色々ありましたが、今はようやく、何でも食べれるし、動けるし、健康そのものです。 」
――― とにかくきつい合宿をこなせたってことが何よりですよ。
「本当にそうですね。普通でも大変な合宿ですから(笑) でも合宿で見ていて、小さい子って凄いなって(笑) スケートの練習と他のことは体力が別なんですよね。練習終わって、ああ、疲れたな、って思ってるときに、小さい子達が「プール行く」「公園行く」って(笑) 嘘でしょ?って(笑) もうこっちは、食べて、練習して、寝る、それしかしないのに(笑) 私は昔、こんなんだったかな?って。 」
――― きっとそうだったんですよ(笑)
「段々と考えるようになってくるんですよね。次の練習がこの時間だから、今は寝なきゃいけないかな、とか。でも子供はお構いなしですからね。。 」
――― でも、そういう元気が無くなっても、その分、考えてやれるようになってるんだから(笑)
「はい!(笑) 」
――― 話は本当に尽きないんですが、今日の夕方からフリーですし、この辺で。
「はい、今日のフリーは大変です(苦笑) 」
――― いい演技を期待してます!
今日はお忙しいところをありがとうございました。
<2005年8月25日、飯塚アイスパレス近くのハンバーガーショップにて>

実は今回のインタビュー、前々から企画をしていたんです。サイトの方でずっと、昨年春のインタビューを掲載していたんですが、未だにあれを読んで、「摂食障害を克服した鈴木明子」のイメージを持たれる方が多いようなので(苦笑) 確かにあれは大切な記録として、とても価値のあるものだと思いますが、でも同時に、今の明子さんの状況が伝わるインタビュー記事も欲しいな、とずっと考えていました。今回、機会を得まして、こうして楽しいインタビューをさせていただくことができました。これを読んでいただいた皆様が、明子さんの素顔に触れて、親しみを感じていただけたなら、インタビュアーとしてこれに勝る喜びはありません。

